自分のベストを引き出す宮里藍選手の女優力
日本の女子ゴルフ界を牽引してきた宮里藍選手が引退を表明しました。世界ランキング1位の座にまで登りつめた彼女のアスリートとしての姿勢には、私たちが学ぶべきものがたくさんあります。それは世界中のプロゴルファーたちにとっても同様で、小さな身体で心と技をコントロールし続けた彼女の活躍は、彼らのロールモデルとなってきました。それは今や世界のトップを競う松山英樹選手も宮里選手の引退を知り「メンタルコーチをお願いしたい」と語るほど。まさに技術だけでなくメンタル面でもその強さを誰もが認めるトップアスリートであったと言えるでしょう。
そこで今回は宮里選手のメンタルの強さを引き出していた秘密、『女優力』について考えていきます。
「みなさん、女優になってください~」これは2011年に開催されたジュニアクリニックに呼ばれた宮里選手が、ジュニアゴルファー達に向けてメッセージしたものです。彼女の言う「女優になる」というのは一体どういうことなのでしょうか。これを理解することが、宮里選手のように本番でパフォーマンスを出すための鍵といえるでしょう。そのためには、次の3つのステップを理解しなければなりません。
【①自分自身をしっかりと知る(見える化)】 みなさんはご自身のことをどれくらい知っていますか?当然、自分のことなのだから自分が一番よく知っていると思うでしょう。問題は、どの程度、どれだけの深さで自分を知っているかということなのです。
例えば、カッとなってしまう瞬間は誰にでもあると思いますが、それがどんな時で、どんな感情になるのかは一人一人違います。あるいは、どんな時に緊張し、緊張したらどんな動き方になるのかも、一人一人違います。こうした考えや反応の傾向や、自身の行動についてどれくらい理解しているかでその後の対処の仕方は変わってきます。
実は、多くの場合、人は自分が認識しているより自分のことを知らないのです。この自己認識をセルフ・アウェアネスと呼びますが、これはメンタルスキルの中心をなし、理想のパフォーマンスを持続させ、逆境における対処能力を高めるためには欠かすことができません。人は自分自身がわかっていることしかコントロールできないからです。
トップアスリートの場合には、心理テストを受けてセルフ・アウェアネスを高める訓練を積んでいる場合もありますが、テストを受けなくてもまずは自分自身であらゆる場面の自分の反応や行動を振り返ってみることでセルフ・アウェアネスは高まります。スポーツをしている方であれば、試合中のいくつかのシーンでどんなことを考えていたのか思い出してみたり、プレー中のビデオを見たり、同時に他者からどのように見えていたかを聞いてみたりすることで、自分を客観視し、言語化することが可能になります。「今日はなんか調子悪いな」で終わってしまう人と、調子が悪い原因を自分で認識できる人では、結果に差が出て当然です。
【②自分がコントロールできることを整理する】 自分について「見える化」ができたら、次に必要なのは自分が「コントロールできること」と「コントロールできないこと」を見分けることです。
例えばゴルフで前のホールでダブルボギーを叩いてしまい、今度は何とかバーディがほしいと考えることはゴルファーなら当然でしょう。しかし、ダブルボギーの悔しさがどれだけ頭を巡っていても、それは過ぎてしまった過去のこと。もはやその結果をコントロールすることはできません。また、バーディを獲りたいという気持ちもわかりますが、過去と同様に未来のことも直接コントロールすることはできません。
その段階でできるのは、結果的にバーディに繋がる可能性のある今のベストを尽くすことだけです。このように、「コントロールできること」をしっかりと見極め、どのように実行すべきかを考えることが重要です。今のベストを尽くすためには、頭の中からコントロールできない余計な意識をなくさなければなりません。
「注意コントロール理論」を唱えたアイゼンク博士らによると、人は怖さを生むきっかけとなる事柄に意識を向けがちですが、それを自分がコントロールできる今やるべきことだけにフォーカスしなおすことにより、スポーツにおけるパフォーマンスは向上することがわかっています。
例えば、初日の1番ホールはいつも緊張して不安で、あまりバーディをとったことがないというプレーヤーがいるとします。この場面で意識は過去の1番ホールやこれから打つドライバーショットがフェアウェーキープできるか、もしくは『右のラフは深いからあちらには打ちたくないけどなんかスライスしそうだな・・・』などとコントロールできないことに向かい、緊張や不安な気持ちを増幅させます。
そんな時は、何か自分がコントロールできそうなことに意識を向けてみることが重要です。例えば、空を見上げて大きく深呼吸をしてみるとか、しっかりと顔を上げて歩くとか、キャディーとリラックスできるような会話をするなどは、自分でコントロールできるアクションではありませんか。スタートホールでしたら、しっかりとストレッチをする。本番のようにラインをイメージしたしっかりとしたパッティング練習をしておくなどは、コントロールできるでしょう。
【③なりたい自分像を練習でも試合でも演じる(女優力)】 意識を向けなければならないことがわかったとしても、それが自然にできるかどうかはまた別の問題です。ここで宮里選手の言う女優になる力が必要なのです。誰でもその人特有の強さと弱さがあり、どんな場面でも完璧に理想の考え方・行動ができる人はほとんどいないのですから。そこで、こうありたい自分を「演じる」ことが重要なのです。
たくさんのスポーツ選手を研究したレーヤー博士は、強い選手は試合中に『演じるべき自分』が明確で、その状況での台本の理解力や高い『演じるスキル』を持っていることに気が付きました。 勝負所で力を発揮する選手はその状況で『演じる』ことができます。それは、ここまでお伝えしてきた①自分自身をよく知り②コントロールできることは何かを見分けることができ③自分自身の理想の考え方・行動を持つことから始まります。
勝負のぎりぎりの場面や、不測の事態が起こる本番の試合では、多くの選手は不安や焦りの感情に流されたままプレーしてしまいます。ところが、強い選手はミスショットをした後でさえ、冷静に自分のするべきことし、次のプレーへの闘争心を高めていきます。この選手たちの『本当の自分』は多くの選手と同様に動揺したりしています。しかし、強い選手は『演じるべき自分』があり、それを演じ切るスキルを持っています。そして、スイングと同様に繰り返し演じるトレーニングをしているので試合中はほぼ無意識に、そしてある時にはスイッチを入れて演じ切ります。
宮里選手は、このトレーニングを繰り返し、試合で『女優力』を発揮することで、本番の試合で、いま自分がコントロールできることに徹底的にフォーカスし、結果は後でついてくるという思考を作り上げたのだと思います。トレーニング以前は、スコア(結果)を求めて「こうしなければ勝てない」などのMUST思考から脱却できずに苦しんでいたそうです。
この3つのステップの習得は、知識として理解した上で、継続的なトレーニング、練習をしなければ定着しません。宮里選手は、技術面、体力面だけでなく、こういったメンタル面のトレーニングも徹底した努力を継続することによって、トップアスリートとして世界から認められる選手になったのでしょう。